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源氏五十四帖 第11帖 帚木

源氏五十四帖 第11帖 帚木

源氏物語五十四帖は、源氏の一生と、その子薫君の生涯にまたがって書かれた最古の長篇小説です。

 

六条御息所は、娘の斎宮と共に伊勢へ下ることになったので、九月七日の夕暮に、源氏は名残を惜んで御息所を訪れた。御息所は、葵 上との一件で心がうち解けず、源氏に会おうともしなかった。
九月十六日、斎宮と共に桂川で禊をし、お別れに宮中に参内して、夕方、都をあとに伊勢へ出発して行った。
11月、桐壷帝が崩御されたので、世の中は一変した。弘徽殿女御の生んだ一の宮が、今は朱雀帝となって位に即き、外祖父の右大臣が太政大臣なって、専ら政権を掌握するようになった。
十二月二十六日、故桐壷帝の七七日が過ぎると、女御たちは宮中を去って四散し、藤壷も里へさがっていた。左大臣は失脚し、源氏の邸宅も火が消えた寂しさであった。
翌年二月、弘徽殿女御の妹臓月夜の内侍は、尚侍となって帝の側近に奉仕し、その一族は悉く全盛を極めるに至った。
落ち目になっても、源氏は藤壷を忘れることができず、そっと寝所に忍び こみかき口説いたが、女房たちの騒ぎで目的を達する乙とができなかった。乙の世のあさましさ、はかなさを痛感した藤壷は、十一月十日、先帝供養のため法華八講を行った後、髪を斬って忌になってしまった。源氏の悲観は深かった。
職月夜の内侍は、花やかな宮中生活を送っていたが、病になって里の太政大臣邸で静養してた。それをよいしおに、源氏は危険をおかして通って行ったが、ある夜、夕立が激しく雷鳴がしきりにしたので家人が目を覚まし、途に源氏は臓月夜の寝室で現場を押へられてしまった。大臣も弘徽殿女御も激怒し、源氏を追放してしまおうと決心した。

 

源氏五十四帖

海老名正夫原画

製作32年

技法 木版画

サイズ 33×23.5

マットサイズ

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    第11帖 帚木
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